セクハラ・パワハラの声が上がらない一つの解決法とは?

COLUMN /

blog ひと言 No.59

■注意しなくてはいけないこともできない?

 つい数日前のカフェでの出来事。隣の席に、会社の上司と部下と見える2人が座りました。50代前半の男性とその部下だと思われる20代半ばの女性の2人。仕事の合間の休憩なのか、話しの内容は仕事というよりも他の社員のことを話していました。

 決して聞き耳を立てているわけではないのですが、隣なのでどうしても聞こえてしまうという状況です。繁忙期の忙しい時期のことだったのでしょうか。ある女性社員のことを話しています。

「〇〇〇、ソファーでひどい恰好で寝ているんだから」

「まったく女とは思えないーーー」

「こう言うと、セクハラと言われちゃうから、何も言えない」

 確かに2つめのセリフは、いろいろと問題がありそうな発言です。それを自分で言って、突っ込んでいるところが、ご自身でも問題意識がある前提なのでしょう。

 最近、男性の口から「セクハラと言われるから」という言葉を耳にする機会が増えました。コンサルティングやセミナーの機会にも、男性上司が女性の部下へ注意するとき、「セクハラと言われないためにはーー」という質問を受けることもあります。

 でも、明らかに社会人としてどうなのかーーーということまで、「セクハラと言われるから」と、注意しなくていいものなのか?あまりにも、「セクハラだから」「パワハラだから」と、良くないことを正す注意をしない、注意ができない上司やリーダーでいて、いいのかと、常々疑問に思っていました。

■当たり前のことを敢えて明文化する意味

 こんな話をビジネスランチをしながら、ある経営者の方と話していました。このとき、初めて聞いたのですが、この方の会社では、「社員の在るべき姿」をすべて明文化していると言って、それを見せてくださいました。

 社内外での挨拶はもちろん、電話の取り方や顧客対応の仕方、言葉使いや報告の仕方や経費申告などの事務処理、服装や身だしなみに至るまで、想定できるシーンの「こう在ってほしい社員像」を箇条書きにしてあります。

 逆に、ここまで細かく言うことで、社員はきゅうくつな思いをしないのか? そのほうが気になってしまう細やかさです。実際に、社員からそういった声が出ないのかを聞いてみたとろ、答えは「まったくないーー」ということでした。

 私も一通り目を通してみましたが、その一つひとつは、どれも決して難しくなく、社会人としては当たり前のことばかりです。当たり前のことなので、規則が厳しいという感じは一切受けず、その一方で短く簡潔な文章で書かれていることで、きちんとやるべきこととしての訴求ができているようにも感じました。敢えて全て明文化していること、これが大きな効果を発揮するわけです。

 簡単なことで、この明文化されたことに対して、「守れているか」「守れていないか」、これが「注意するか」「注意しないか」の判断基準となるわけです。

 守れていないのであれば、必要となれば注意をする、それだけのことです。誰もがわかりやすいかたちで文章化されているわけですから、セクハラと言われることも、パワハラと言われることも、もちろんありません。

 こう考えてみると、世間でいうセクハラ、パワハラというのは、シンプルに考えると、「個人の価値観の押し付けをすること」といえるのかもしれません。個人の価値観から、企業としての共通の価値観へ変更をする。これは一つの良い解決モデルといえそうです。


この記事の執筆者

yamakawa midori
山川碧子(やまかわ みどり)

株式会社プライムイメージ代表/AICI国際イメージコンサルタント。2006年からビジネスパーソンの印象管理・印象マネジメント®を中心にサポートしています。著書『4分5秒で話は決まる~ビジネス成功のための印象戦略』。お仕事のご依頼はこちらからお願いします。