個人的な太く短く生きた社長の話

COLUMN /

No.107_top_パターン4

1対1の付き合いを大事にしてきた人

 ご冥福をお祈りしますーー。

 突然の訃報に、ただただ驚くばかり。新聞のおくやみ欄に近しい人の名前が載ることなど想像もしていませんでした。

 先週、某上場企業の社長が急逝しました。私にとっては大学院の同期生。入学時から高いポジションに就いていながら、決して偉ぶらず、誰よりも勉強熱心で、謙虚な姿勢をくずさない、それでいて強烈な個性を発揮している人でした。

 社長に就任したのがこの4月。お祝いのメッセージの返事が、「先輩社長、よろしくご指導ください!」で、思わず「イヤミか!」と言ってしまったのが、最後のやりとりでした。

 あまりに突然のことに、言葉が出てこないのが正直なところですが、こんな同じ思いの人がどれだけたくさんいたことでしょうか。

 亡くなった後、みなさんとのやりとりを通じて感じたのが、相手がどんな人であれ、対人間として、1対1の付き合いを大事にしてきた人であったこと。それを改めて感じました。

 多くの方々がお悔やみの言葉を記していましたが、男女、年齢、職業などに関わらず、誰とでも1対1で向き合ってきた、付き合ってきたことが伝わってくるエピソードの数々が並んでいました。社交辞令のような言葉はなく、あのときこうしてくれた、何をしてくれた、といったそれぞれの人との深いエピソードばかりが並んでいるのです。

 私も仕事や論文のことを何度も相談させてもらいました。忙しいなか、時間を作ってくれて、ちゃんこ鍋に連れて行ってくれたり、和菓子をごちそうしてくれたり。職業人としての厳しさをもちながら、どこか身内的な温かいまなざしをいつも感じていました。

 仕事の相談をすれば、「それは社会の役にたっているのかーー?」と、何度も真顔で聞かれ、こちらが「本当に役立っているのかーー?」と自答自問せざるをえなかったこと。「人の役に立つ」ということを自ら体現していた器の大きさを改めて感じます。

 もう一つ、この人は、横で聞いていていやになるほど、自分を謙遜する人でした。立場上、上から目線で話してもおかしくはないのに、逆に下から目線といえるほど、決して悲観的ではないけれど、謙遜の言葉がいつでも出ていました。

 今思うと、相手が誰であっても、謙遜の言葉が出るのは、それは自分に自信があってだからこそできること。自分を大きく見せよう、見せようとする人の言動と対極にある、揺るぎない自信が芯にあるからこそ、そこまで相手を立てる謙遜の言葉が自然に出てくるのではないでしょうか。自信と実力を備えて社長まで上りつめた人、だったのですよね。

 享年59歳。「太く短い人生でした」と、お嬢様がFBのご挨拶で書かれていました。社長就任後に病気が発症して、最後の最後まで全力疾走の仕事人生だったそうです。

 いつだったか、「趣味は?」という私の質問に、「仕事だね」と笑って答えたTさんとのやり取りを思い出しながら……心よりご冥福をお祈りします。

 

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